その後
今日実家の父母と話して、先週の大火事事件の始末はまだまだ続きそうだ。近所の方々が色んな道具やトラクターを使って残骸をキレイに片付けてくれた。本当に感謝です。
もうすでに40~50人くらいの人があちこちから駆けつけてくれているらしい。中には札幌からも。ワイズメンズクラブやYMCA関係の方々からも日本中から応援の声をかけてきてくれているらしい。そうなんだよね。この校舎は決して個人の所有物ではなく、何百人いや何千人もの人たちにとっても意味のある場所だったのよね。キャンプ場として使われていた全盛期には毎年500人くらいは来ていたとか。
前回は築80年と言ってたけどそれは増築した後で、最初に建てられたのは大正7年(西暦1918年)だから95年前になる。
これから何か新しいもの建てるなら協力したいとまで多くの人が言ってくれている。。。何ともありがたい。。。本当にこの一件がどう用いられるのかな。まだまだ乗り切れてないけどちょっと可能性にはワクワクするね。
2013年05月08日 6:47 AM
はじめまして、突然で失礼致します。
上旭のご実家の近所に住み、ご両親にもお世話になっている者です。
今回の火事の件、お見舞い申し上げます。
コメントは軽い気持ちからではありませんが、もし不快に思われたら
ごめんなさい・・・
(ここからは私のブログからの抜粋です)
夕方、札幌から帰ってきた、
清水で買い物してから、いつもは使わない山麓の帰り道を走っていたら、
パトカーとすれ違う・・・
・・・クラウンのパトカー!?
この辺の交番のパトカーじゃない!
なんだ!何かあったか!?
なんか変だ・・・
まもなく胸騒ぎは的中、夕暮れの暗闇にパトランプがいくつも光っている光景が視界に入ってきた。
… 上旭小学校跡地・・・
閉校してから30年以上経つ。
80年前に建てられた校舎が残っていたのだが、いくつかのパトランプは消防車であり、近づくにつれてそれは校舎の周りで光っていることが判った。
校舎は、
骨組みだけを残して焼け落ちていた・・・
地域の人たちが集まっているのが見えた。
その中に、
・・・居た!
無事だった!
長年校舎を管理していた二人は無事だった!
よかった!
でも、
鎮火した校舎へ時々放水は続いていた、まだくすぶっている・・・
町域は違えど、同じ地域の中にあり、ちょっとシンボリックな建物だった。
なにか信じ難い光景だ。
校舎前のサクラは無事だ。
数日まえ、
「お花見やりましょう・・・」って話したばかりだった。
明日から何か手伝えるだろうか・・・
(ここまでがブログでの内容です)
私にとって火事で校舎が焼け落ちたことももちろんショックな出来事でしたが、
それ以上に印象的だったのは、翌日から近所の牧場や建設会社が重機と人手を伴って大勢集まり、焼け跡の後始末を始めたこと。
翌日もその次の日も人手が集まり、分別作業やガラス拾いをしたこと。
その現場はご両親の人柄を反映するのか、悲壮感などはなく、それぞれが
無くなった校舎に思いを馳せつつもくもくと作業をしていたこと。
近所に居ながら、なかなか顔を合わせることがなかった牧場の人達と談笑する機会を得られたこと。
これだけの大火事でありながら、怪我人を出さなかったこと。
私はキリスト教信者ではありませんし特別信心深い人間ではありませんが、
これもまた神の御加護ではないかと・・・
学校跡地では風雪に倒壊し朽ち果てていく校舎も少なくありませんが、
上旭小学校はなんと派手に、
最後は壮大な送り火のなか逝ってしまったのかと。
強烈な印象を記憶の中に留めることになりました。
ご両親やご家族、近隣の方に愛された校舎について、こんなふうに表現するのは
適当ではないかもしれませんが、忘れられない春となりました。
この夏、我が家の家が建ちます。
2013年05月08日 10:47 AM
剣山麓倶楽部様、温かいお言葉をありがとうございます。また僕の親や新聞以外の視線でのこの一件に対する思いを知れて嬉しく思います。
実家の父母は近所にこんなに素晴らしい仲間を与えられて本当に幸せ者です。
この夏に帰国した時にお会いできたら光栄です。